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インドと私の出会い

第11号 ゴウン(村)へ NO.8

私には元々ちょっとしたこだわりがありました。
どんなに着飾るより、やはり見えない所にお金をかけるのが、本当のおしゃれじゃないかなという事です。ですので、下着はワコール、しかも、その中のスタジオファイブというブランドに決めていました。
インドに行く前にインドには何でもあると言い張る夫にスタジオファイブ位のものがあるかって聞いたら、そんなん、あるに決まってると言い張るのでそれじゃあ、見せて貰おうじゃないの。と思って言い合いになっていました。

実際村で下着屋さんに連れて行ってもらいましたら、なんと、色は白しかないし、サイズなんて無視したもので、小さい目、とか大きい目とかそんないい加減なサイズしかない上に、まるで、丸い布を紐にくっつけたような、まるで、乳牛が使う様なおそまつな物でした。
さすがに夫も(×_×;)シュンとしてました。

そういういきさつがあって、若嫁さんにブラジャー頂戴と言われるのもわかります。だって、いいの持っていってるんだもん。
だけど、正直な所、リンゴが10円の所で、6000円のブラあげて価値あるんかいなと思って、自分ではあげないぞ!!という気持ちを込めて、
「ごめん、日本ではアンダーバストや、カップ等という、
細かいサイズがあるので、あげられないから、ここで、サイズ計ってまた日本から送るよ。」って適当に言ったのです。

そうしたら、
「大丈夫よ。私着けてみたらぴったりだったから。」
って言われてしまったのだ。
第六号にも書いたチョコ事件といい、私の物は皆の物。
「古いから。。。」と渋る私に「構わない。」と食い下がる若嫁。しくしく。。。仕方ないので、実は新しいのを沢山持っていってたのであげることになってしまいました。
インド人には勝てないな〜〜。と民族の差を思い知らされました。

来月は毒事件について書きます。
それではまたね。

第12号 ゴウン(村)へ NO.9

私の滞在していた家がそうなのか、パンジャーブ独特の気質なのか私にはちょっと理解不能なのが、焼きもちというやつです。
日本でも誰それさんが成功したとか聞くといいな〜とちょっと羨んだりはすると思います。が、それだけの事です。
でも、私のいた村ではその焼きもちやいてる人に堂々と意地悪をするという事をやる様でした。その中に毒を盛るというのがあるらしいのです。
が、毒なんて何処にあるのサって馬鹿にする私に、夫は絶対知らない人の家ではチャイを飲まない事、等と言うのです、チャイは日本でいうところのお茶やコーヒーみたいなもので、朝も飲めば、客が来ると必ず、水の後に、もてなしとして出てきます。夫が言うのには、日本人の奥さんを貰えたのに焼きもちを妬いて毒を盛るとか言うのですね〜〜〜〜。そんなんあるんかいな。
第一、そんなとこで毒でぶっ倒れたら大変な事になると思うけど。

ところがある日、アンブーのおばちゃんに挨拶に行くことになりました。アンブーのおばちゃんは夫婦でパンジャーブの州都チャンディガルという所に住んでいて、70歳は越えてたな。一人息子はカナダで成功し、カナダにいる、インド系カナダ人と結婚したらしいです。
それで、アンブーおばちゃん夫婦はカナダに呼ばれたらしいんです。

そこからの話が涙、涙、その息子嫁が鬼の様な意地悪な嫁で、インドから来た私達を疎ましがって、意地悪をして、夫なんて体調を壊して、このままでは殺されるとインドに帰国したのよ。それでね、インドの医者にかかったらね、医者が言うの、毒を盛られてましたね。症状に出ています。だって。
ほら見て、これ、と袖がまくり上げられた御主人の腕はデカイしみだらけ、夫はそれは気の毒に。ふむふむと相づちをうってたけど、私にしてみたら、カナダにそんな毒なんて売ってるのかしら??
よかったら、カナダの人教えて下さい。

第13号 ゴウン(村)へ NO.10

毒の事をカナダ人に教えて欲しかったけど、教えて貰えなかったので、次に行きます。

私がインドに行った時期は丁度、サーグの時期でした。
サーグってのはうちのレストランにもありますが、ほうれん草のカレーです。ところが、日本のレストランによってはこのほうれん草カレーがパラクと書かれてるところもあります。
この違いは何か?
本当はヒンディ語で、ほうれん草はパラクといいます。
じゃあ、サーグは?辞書だと野菜とか野菜料理って書いてますが、日本のレストランではサーグというとほうれん草カレーを指して、インドではサーグというとサルスン カ サーグをの事でこれは芥子菜のカレーという意味です。

という事で私がインドを訪れてた時期は丁度、芥子菜の時期でありました。レストランではこの芥子菜が取れる3ヶ月がメニューにサーグが現れる限定メニューで、マッキーローティ(ローティの粉がトウモロコシ粉、日本では見ない。)とセットで食べるのです。
しかも、何処でもあるけど、パンジャーブで有名ならしいです。

って事で毎日のご飯を楽しみにしてる私に今日は何カレーかな〜。
と思うとサーグ。
今日は何かな〜と思うとまた、サーグ。
そろそろ違うか?また、サーグ。
毎日、毎日サーグじゃ流石の私も他のものが食べた〜〜〜いでした。

日本ではカレーを二十四時間煮込みましたというので、お店が有名になったりしますが、インドの場合は新しいものしか食べないので、毎回カレーを作るのに、毎回同じサーグを作り続けるのでした。
しかもマッキーローティのよさが私はちっとも分からなかったので、大変辛い毎日でした。お好み焼き食べたいな〜スパゲッティ食べたいな〜毎日考えてました。

その時、日本から荷物が届いた。

第14号 ゴウン(村)へ NO.11

私の夫はインドにはトイレットペーパー以外何でもあるって言ったのに、私にとったら何もなかった。ご飯に生卵に醤油なんていいな〜なんて思って、SOYSOUSEをチャンディガル(パンジャーブの州都)で見つけ買ってみたものの、ソースかたまりもどきか?という様な変なやつで、
しかも、生卵は箸だろ、って事で、
親戚に木の枝を箸状に削ってもらったけど、パサパサのご飯にインドの白い黄身の卵はムードが出ない。しかもインドの米の炊き方は、日本と違いたっぷりのお湯に塩と油を入れて、最後にお湯を捨てるというやり方で米の味も全く違う。

その時、日本から荷物が届いた。
狂喜乱舞

中身はポテトチップス、スパゲティミートソース缶、スパゲティCookDoo(レトルトパックで、材料さえあればそのソースを混ぜれば中華料理が出来上がるというすぐれもの味の素の製品だったかな?)のマーボーナスとチンジャオロースの2種類、カップラーメンでした。
スパゲティにはフォークでしょ、と言い張る私に付き合って、フォグワラ(駅がある)に行って夫が向こうの言葉でスプーンに似てるんだけど先が割れてて、って説明で探したな。
なかなか見つからないフォークに私はインドではフォークって単語がないのかってブリブリ怒ってました。デリーなら簡単に見つかったんだろうなようやくとある一軒で確か倉庫にあったはずと発見出来ました。
フォークを買うのに1日潰しました。

そう言えば、その時よく軽食にサモサを食べたけど、パンジャーブではサモサ食べるとスプーンとフォークじゃなくて必ず、スプーン二つがついてたっけな。

いよいよ、ほうれん草カレー以外の物が食べられる。
嬉しかったな。

第15号 ゴウン(村)へ NO.12

日本のポテトチップスも昔は透明の袋に入っていた。
当時のインドはその中身が見える包装のポテトチップスでした。日光にやられて酸化したんだろうな。そのポテトチップスで酷くお腹を壊してしまったので、インドのポテトチップスには懲りていたので、日本のポテトチップスに感激!

ところが、人の物は私の物。私の物は私の物と考えるインド人にとって、“あっ”と言う間に沢山の山だかリの人の間に私のポテトチップスはなくなってしまった。1枚食べて終り、だけど、日本のポテトチップスはインド人にとても好評で、インドのよりずっとおいしいって言われて嬉しかった。
ただ、配慮が欲しいよね、自国のおやつを食べられるチャンスなんだから遠慮なしはやめて貰いたい。

何食べようかな〜マーボーナスいいよな〜とか思って、材料を買いにフォグワラの町に行った。
そしたら、ひき肉がない。なすがない。取れるのはその時期の野菜だけ。チンジャオロースもそう、ピーマンも薄切り肉もない。連れて行ってもらった豚肉やは天井から吊るされた豚を、日本でいうところのカレー用の角切りに切ってくれるという単純なものだった。
がっかり。

 中華はあきらめ、お湯を沸かしてもらい、スパゲティを食べた、水の味が違うのか、灰の味のするスパゲティを太陽の下、マンジャに座って食べるのはとてもまずかった。久しぶりのスパゲティなのに、まずくて、とても食べられなかった。捨てていいよ、そこに置いとけばカラスが食べるからって言うので、屋上に皿からぽいっと捨てたけど、いつも獲物を横取りするカラスさえスパゲティには見向きもしなかった。
マンドゥ(夫のいとこ)の奥さんがそれを翌日処分するのを見て、その国の文化に従って、その国の物を食べるってのは合ってるんだなって
つくづく感じた1日でした

そんなある日、夫がパキスタンに行ってみようと言い出した。

第16号 パキスタンへ NO.1

 折角だからパキスタンに行ってみようと言うことになった。
インドパンジャーブからパキスタンのラホール迄、陸路を通ってパキスタンに入る事が出来る。数時間で行けるので、行ったことがないという夫と共に行ってみよーーーと行く事になった。インドのパスポートにはパキスタンには行けない風に書いてあるらしいけど、何故かパキスタンに行く列車にはパキスタン人とインド人が一杯いた。
両国が分裂した時に親戚同士でも国境を離れてすんでいる人がいると夫が言っていました。電車に座っていたのは本当に二時間位だと思いましたが、国境を越えるのに時間がかかるの、なんの、何故かインド人は後回しなので、私はさっさと抜ける事が出来たのに、夫は全然順番が回ってきませんでした。
 到着したラホールは一見そうインドとは変わらない気がしたのに。やはり全く別の国でした。インドではオートリクシャーかほぼアンバサダーだったのに、何と日本の中古車が思いっきり走ってる。軽トラなんて日本で使われてたそのままの電話番号入り、○○工務店なんて車がガンガン走ってるじゃないの。

 ビルは5階迄ガラス張りのモダンなビルが並んでいるし、道には色とりどりのフルーツが並んでいた。
インドには何でもありますって言って、季節のものしかなかたのに、明らかに輸入された物が庶民が買える様にその辺で売ってるんだもん。
それは同じ国だったとは思えない私にしては衝撃的な事でした。
 国境を越えるのに、一日かかってしまった。
取りあえず、泊まる所を探さなきゃ。

第17号 パキスタンへ NO.2

 行き当たりばったりな夫、道を歩く人に尋ねて、YWCAだったかな。に泊まる事になった。本当は女性しか泊まれないけど、特別に泊めてあげますが、ご飯は出せないし、ホールも男性は使えませんという事でした。
外を出て曲がったところに食堂があると言うので、私達は歩いて、ご飯を食べる場所を探した。ほんの数時間離れたインドパンジャーブでは主食はローティ(チャパティ)なのに、パキスタンは形は同じく丸いのですが、直径30センチはあろうかと言うローティ(?名前は不明)が主食でした。
インドでは禁じられてる牛肉のカレーを食べたのですが、
(インド人の皆さまゴメンなさい)
これがおいしかった。コクがあって日本人に向いてるよ。

 その日は大人しく寝たもののトラブルメーカーな夫なので、こんな高い所にはもう泊まらないとか怒りだして、グルドワラに泊まると言い出した。

 ここでグルドワラの説明をしておくと、

寺の事を

ヒンドゥー教徒はマンデール
ムスリム教徒は マスジット
シーク教徒は グルドワラ となります。つまりシークの寺なんですが、

 このグルドワラにはインド旅行のガイドブックにも載ってるのですが、無料宿泊所が用意されていたりするんです。そこならタダだからそこに泊まると言い出した、ここにはお湯の出るシャワーがあって、感激してたのに、お風呂もないとこに行くのはどうかと思ったけど、言い出したら聞かないから止むを得ず承諾して、グルドワラに行きました。パキスタンでは滅多に泊まる人はないみたいで、ほこりだらけで、電灯もなし。夫は掃除してた。よかったよ、毛布を持参して来ていて。夜は見えなくなってしまうからロウソクなんかもいるし、買い物に出かけた。

第18号 パキスタンへ NO.3

毛布を持参してきてよかったよと言うか、インド人の長期旅行には毛布は欠かせない。
いつ来るか分からない電車を待って、ホームで寝る人もあれば、電車の中で毛布にくるまる人もいる。例に漏れず、私も夫も毛布持参という大きなバッグを持って旅をしてたのですが、このグルドワラは最悪でした。
多分インド人もパキスタン人も利用しないんじゃないの?という様なコンクリートで囲われただけの部屋。床ももちろんコンクリート。しかも砂だらけ。夫は掃除が好きなので、頑張って掃除してたけど、新婚旅行も兼ねてるのに、これはないよなーーーと内心思っていました。

 グルドワラの無料宿泊所を出ると近くにバザールがありました。
インドの隣なのに、なんか物価が高かった。パキスタンに行ったら布を買ってきてねとインドの親戚達に言われてたので、布屋街にも行ったけど、布も恐ろしく高かった。日本と変わらないよ!と文句を言ったら、布は全部日本製だから、と布の端にあるMADE IN JAPANの文字を見せてくれた。インドの様にMADE IN JAPIN だの MADE IN JAPENだのに比べて布の質といい、妙に信憑性があった。お金を使うのが大嫌いな夫は布を買うのをやめて、店を出てしまった。

 ラホールのお寺を見ようと夫が言うので、そうだねー。とお寺を見て回った。夫曰く、元々インドのパンジャーブのお寺だったんだけど、分裂したからパキスタン側になっちゃったんだ。と言っててそのせいか、なんだか、お寺は大事にされてるとは思えず、あちこち崩れているし、おしっこ臭い。実際にお寺を見に回ってる途中で立ちしょんをしてる男性も見た。お寺におしっこかけるというのは日本じゃ考えられないし、インドでも無かったことなので、ちょっと衝撃的でした。
あれはパキスタンに改善してもらいたいもんです。

 来月は当時の写真をお見せしようかなと思います。

第19号 パキスタンへ NO.4

 パキスタンとインドでは衣装も違うんです。
パキスタンでは女性は顔を見せない。でも厳密にはインドにも回教徒はそういう格好をしています。だけど、うちの夫はシーク教徒シーク教徒は異国ではともかく、インドではあんまり仲良くならないので、私には回教徒の知りあいは出来ませんでした。回教徒の作るカレーはおいしい(?)という噂を聞いた事があったので、是非知りあいたかったけど。。
という事で、知り合うインド人によって、連れていって貰える観光地もお寺も全く違う所になります。
私はインドでは村人お手製のクミージュサルワール(パンジャビスーツ)を着ていました。町の人には既成のもっと可愛いのがあるのに、なんて言われてましたが、そんな事、作ってくれてる村の人に言える訳ないじゃないですかねー。
後には既製品を買うのですが、色落ちのすごさには驚かされました。

 写真の準備が遅れています。ごめんなさい。私のクミージュサルワール姿を数日中には必ず載せますから待って下さいね。

第20号 余談

 どうもスキャナの調子が悪いので、写真をデジカメで読み込んでます。すみません。勉強しておきます。

 今回はちょっと写真の説明を。
まず、水色のパンジャビスーツこれが私です。ジャージとスカートという私がおかしいらしく、インドに着いた翌日隣の黄色い女性がミシンでさささっと作ってくれました。

 写真の頭にシニヨンをつけてる子供達。わーかわいい!と言いたい所ですが、この子供達は男の子パンジャーブでは生まれた時から基本的に髪を切りません。その長く伸びた髪は男の子の頭の上でおだんごに結ばれ、布で上手に結ばれます。もう少し大きくなると後ろの白いターバンの男の子の様に簡単にグルグル巻きにされた、ターバンに変わります。きちんと巻かれたターバンは大人の男で、子供達はターバンが巻ける様になるのをとても楽しみにしていました。

 では女の子はどうかと言うと、三つ編みをしてます。でも一度も髪を切らないとそう長くもならないみたいで、大体は腰の辺り迄しか伸びません。

 私の隣の黄色の女性は神に仕える仕事の為、ちょっと三つ編みとは違う髪型をしていました。だからこの様な頭になっています。

 これは村のうちの隣の空家でカラと言うお菓子を作っています。
ヒンディ語で言うとハルワです。日本のレストランではガジルハルワと言ってにんじんのハルワがある所もありますが、私はこのシンプルな神様に御供えするカラが大好きでした。お寺を回ると神様のお下がりとして貰える事もあります。

 一杯写っているのが、大人のターバンです。これも人によって、ざっとしてたりすごく上手だったり実は奥が深い。ターバンの話しは、また今度詳しく。

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インドと私の出会い
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サーガルのらあまです。

このコラムは、1989年のインド旅行のもの。主にパンジャーブでの出来事について書いています。




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