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東京での生活

第1号

 このコラムはインド料理には全く関係ないんだけど、 だけど、色々楽しい事があったなあと思い、私の長年の歴史(笑)を綴っていきたいと思います。

 皆さんの疑問は、何故私がインド人と結婚したのか?と第一に思われると思いますが、正直な所、この人と友達になっておけば、本格的インド料理が作れる様になるな。
友達にインド料理が作れると自慢出来るな。と思ったという事に尽きます。あまり物事を深く考えないので、絶対幸せにするからと毎日プロポーズする夫に出来ないと思うけど、なら挑戦してみる?という感じで結婚致しました。

 結婚は、まず、籍を入れるのも大変でしたが、(インドコラムに記載)新居を探すのが、これまた大変で、当時はバブルが崩壊して下っていた時期だったのですが、建設関係の仕事はまだまだ多く、インドや、パキスタン等から出稼ぎ外人が東京には一杯来ていたのでした。

 インドからは当時観光ビザがいるので、
インド人の来日はちょっと大変だったのですが、
パキスタンからは双方ビザフリーだったらしく、どんどんパキスタン人がやって来るんですね。それで、パキスタン人とインド人ってのは仲が悪いのですが、外国日本での事、道で出会えば、情報交換をする訳です。

 取りあえず、日本に来て、出稼ぎして
お金を貯めて、送金すればいいわけで、税金も払わなくていいし、少々法に触れても平気な訳です。

 そこで住居費を浮かす為に彼らは一つの部屋に大勢で住む訳です。道で同じ国の人と出会えば、情報交換。私も田端にあるマンションを訪れた事がありますが、山手線田端に歩いて5分2K(家賃8万)に8人〜10人位住んでました。
どうやって過ごすか、、、押し入れが二つありましたが、2段ベッドとなってました(笑)上にも下にも人が寝ていましたよ。それで4人は寝られますからすごいもんです。夫の友人だった訳ではなく、夫が道で声をかけられて、ご飯に招待されたんですけど、違う意味で感心しました。

 埼玉県川口市なんかは当時、そういう出稼ぎがぞろぞろいまして、駅前にはアジア、中東系外人がうろうろしてるので、部屋を探しやすいのかな。と思って、川口で部屋を探そうとしたんですけど、私が不動産屋に夫同伴で入ると、「こんにちは。」も言わないうちに、「駄目駄目、部屋はないよ。」と断られていました。
何処の不動産屋に行っても同じ。よっぽど大家さんは困ってるとは思ったけど。

 ちゃんと職にもついているインド人なのに、部屋が探せないのはどうかな?夫がアメリカ人ならなあすぐに部屋貸して貰えたんだろうな。と今後の結婚生活を考えて、暗〜い気持ちになりました。結果として、夫を連れての不動産探しは断念して、私一人で行いました。自分の名刺を出したら、夫がインド人だと伝えるも、すんなり部屋が決まりました。

 これは、結婚第一の大きな試練。大きく考えさせられる事件でした。

第2号

 インド人と結婚した私が言うのも何だけど、外国人のかたまりはちょっと怖いものです。私が住んでいた東京の綾瀬にはパキスタン人やイラン人が大勢いまして、結構群れで歩いていたりします。
そして、新聞でもそういう人達が日本人を殴っただとかいうニュースが新聞に載ったりしていたもんですから、私は常にインド人を見てるけど、さぞかし、外国に縁のない方は怖いだろうなあと思ったものです。

 私の夫は自分はきちんとしたビザがあって、働いているのに、と
こぼす事がありましたが、、そう!そうなんです。ビザを持っていない人の方が金持ちだったりする訳です。

 何故なら、雇う側は大きな企業は別だけど、小さな所は儲かればいいんです。労働基準法無視して、安く働いてくれる労働力があれば、オッケーです。それでビザのない人達でも何かと仕事が見つかったりする訳です。

 パキスタン人はすごかったですよ。携帯電話を買う訳です。
当時は一台7万位してたと思います。(私は必要もなかったし、買えなかったので、正確な値段は分からないのですが)取りあえず、携帯を買えるだけ、何台も買う。
それを前回お話しした様な8人で一緒に住んでる様なインド人達にに一日一台2万で貸すわけです。当時のインド迄の国際通話料は数分で1000円。借りたインド人達は人数割りして、パキスタン人にお金を払い、その一日は順番にずっと故郷に国際電話をかけつづける訳です。今は改正されたみたいですが、昔はお金を払わなくても数ヶ月は携帯が止まらなかったらしく、携帯が止まったら使い捨て、という技を使っていたんですよ。大儲けしてましたね。
日本人には出来ない技です。

 イラン人もすごい。綾瀬駅前改札では数人のイラン人達が、テレフォンカードをトランプの様に開いて片手で持って立ってるんです。当時はテレカは使用済みの物に、新たに磁気を貼ってまた使える様にしている訳です。最初は5000円テレカがあったので、それだと50000円位は使える様に偽造出来たみたいです。でも、偽造カードに悩まされたNTTが改正をし、途中でテレカは1000円迄になったので、後半は額面だけの偽造カードを売っていました。販売額は500円テレカ10枚で500円。(使用出来るのは5000円分)
その使用済みテレカ20枚分を持っていくとまた、一枚(500円分)と交換して貰えるという事をやっていました。(面白い)
主なお客さんは綾瀬で働くタイやフィリピン女性だったみたいです。

 じゃあ、うちの様な真面目に国際電話料を払ってるもんはどうなんよ。と綾瀬警察に文句を言いに行きました。真面目な私は(`_´)

 しかし警察に言われました。持ってるだけでは、絵柄を集めているだけかもしれんのでー逮捕は出来ないんですよー。と法律ではそうらしい。
ほ〜絵柄を集めるのに、裏に磁気テープはるんかい!!

 今度はイラン人にらあまは注意(私も若かったなあ)「今度、電話ボックスが交換になるらしいから、捕まりますよ!」
イラン人「ダイジョーブでーす。そちらの機械変わるとこちらの機械も変わりマース。」恐るべし。背後組織。

第3号

 私の夫はパンジャーブ出身のシーク教徒。
インド人と結婚する事になった時、日本の友人は、インド人?
もしかして、シーク教徒じゃないでしょうね。やめといた方がいいよ。とよく言われたもんです。

 歴史に弱い私は未だに、何で、シーク教徒が駄目なのかよく分からないのですが、はっきり言って、シーク教徒が皆、過激派な訳ではありません。(それの事を言われてるのかな?と個人的には思っているのですが、不明)

 でも、シーク教徒の団結力というのはすごい。
他国(日本ででも)困っていると同じシーク教徒なら助け合ったりするんです。という事で、うちの夫、偉い人にも知りあいましたが、変な人とも日本で知りあった。

 変な男、その名はアマンジート・シング。
怪しいので、私はビジネスマンと呼んでいました。
ビザのないパキスタン人と組んで何かやってるんだけど、
当時、言葉があんまり分からない私は、何やらかしてるか分からない。

 ところが、このビジネスマン、埼玉で日本人とケンカしたらしい。目撃者多数の場所で日本人の頭を角材で殴ったらしい。本人はやってないと言い張ったが、ビザも切れている事だし、つかまって、刑務所送りに。

 私なんて関係ないのに、夫がパンジャーブの人だから面会に行ってやってくれって言うので、しゃーなしに、私が面会に行ったら、ビジネスマンはガリガリになっていた。日本の食事は食べられる?って聞いたら、刑務所では1週間に一度、インドカレーが出る。と言っていた。えーそれはきっと日本のカレーだよ。と言ったけど、インドカレーだって。
外国人向けなのか、刑務所もすごい。

 で、、、強制送還をくらったビジネスマンだけど、
半年位したとある日。一本の電話がかかってきた。夫が取ったんだけど
「はい。もしもし、ビジネスマンです。今から行きます。」
「は?断ってよ。」
と夫をつっつくもむなしく、もう、こっちへ向かってるって。とビジネスマンがやって来た。

 インドに帰った筈のビジネスマン。どうやって来たの?
そしたらパスポートを見せてくれた。パスポートはアメリカ。
名前はモハメッドとなっていた。写真はビジネスマン本人。
第一、ビジネスマンはシーク教徒だし、モハメッドという名はどう考えても回教徒(ムスリム)第一、この人はアマンジートシングだっつーの。
お国の割り印あるし写真をはがした後もない。ちゃんと透かしの入ったアメリカパスポート。(注:1)すごい。当時、タイでそういうのを加工する所があるらしい。でも、偽造と言われても、私には偽造には見えない。

 そして、、、、その日。うちの夫にパスポートを売れ。と言い出した。

 夫は日本人の私と結婚している訳で、そういうパスポートは30万で買って、タイで外国人に100万で売れるらしい。即金で払うから。。30万で。と財布を取り出したけど、うちの夫は安すぎる。と断ってた。(面白い)
(ちなみに私のパスポートも売れると言っていた。東洋人に売れるらしい)

なんて鈍感な私。そうか、ビジネスマンのビジネスとは、、、
これだったのか。でも、ビジネスマンにとって私達はおいしくなかったんでしょうな。
その後、訪問される事はありませんでした。

(注:1)今のパスポートと違い、アメリカも日本もパスポートの紙の上に真が貼ってあり、その上から写真より少し大きめの透明シールが貼られてシールの上から、写真とパスポートにまたがる様に割り印が押されていました。
今は日本のパスポートも元々から刷り込み式になっているので、現行のパスポートとは違いますので、ちょっと想像してみて下さいね。

第4号 余談

なんと、更新に失敗していて、更新出来てない様でした(;_;)

 先日ですが、私の子供が麦粒種(別名、ものもらい、目いぼ)に
なりました。そこで、思いだした話しがあります。

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 1996年だったと思います。2度目のインド訪問をする私に
インド休暇中のコックが空港に出迎えに来てくれていました。

 久しぶりに会うコックは何と黒のサングラスをはめており、
日本では一切その様な格好はしないのに、え?と思う間もなく、
「コレ」とある物を手渡されました。

 ある物とは、、、、それは私にもサングラスでした。
プラスチックオレンジ縁に黒ガラス入り

 そしてコックが真剣な顔をして言う訳です。
今ね、皆、目の病気だから、病気の人の目を見ない様に。
相手の目を見たら、あなたもウツリマス。

 とか言うわけです。

 私は眼科ではないので、よく分からないけど、そう言われれば、周りには充血したインド人ばっかり。あまりにも大勢いすぎるので、怖いの。何の。

 でも、、、目を見たって、うつらへんってば、とコックの方に顔を向けようとすると、その時外していたらしい、サングラスをかけなおし、

 「駄目!!見たら!!
 そう、コックもその病気にかかっている様子。私は結膜炎と違うんかなーと思っていたけど、移ったら嫌だし。。。
それから暫くは遠くから人の目が血走ってると分かるとコックが下向いて!と合図をしてくれ、その通りに歩いてました。

 暫くはサングラスをかけていましたが、、

 でも、この冒険家の私の事。死ぬ訳でもないし、、と、遂にむらむらと我慢出来なくなり、とある、服屋さんに行った時に私の応対をしたインド人の目が血走っていたので、
コックに見つからない間に、サングラスを外して、きっと睨みましたよ。(内心はドキドキしていましたが。)
結果として、、移りませんでした。コックにはその時には言えなかったけど。

 間違った話はよくない。。と思いました。

第5号

ですが、今日は余談その2

 インド人と結婚するとは大変な事です。
何しろ、インド人はカレーしか食べられないですから。

 パンジャーブは割合裕福な人が多いので、外国に行って一旗あげよう。なる人が結構いる訳です。しかも、シーク教徒というのは仲間意識が強いので、結構頼られると面倒みたり、という事も起こるので、一人暮らしをしていた独身時代の夫はインドから来たインド人を泊めてあげたりしていました。

 そのインド人達の必需品は食品です。
スパイスやら、豆やらをバッグ一杯に詰め込んで来ますね。
特にベジタリアンともなると持ってこないと、まず日本で食べる物がないですからね。うどんにもだしにかつお節が入っているし。生野菜位しか食べ物がないのでは。

 私の夫も、カレーしか食べられないんですが、私が毎日カレーでは困る。という事で、結婚当初は水曜日は“日本食の日”と決めておりました。何で、日本に住んでる私が相手に合わせないとならないのかとも思うのですが、それ位他の物が食べられない。
一日中、ディズニーランドへいようが食べる物がないので、自宅に戻ってからカレー作りです。だから一緒に外食したのはインド料理だけです。遠くに出かけると私はいつもお腹ペコペコでした。

 ところが、唯一の日本食水曜日にも、寝る前、夫が「ああ、お腹減ったなあ。カレー食べたいなー。」と言った所から、日本食の日はなくなりました(;_;)
その日は忘れもしない面倒だったんで、スパゲティにしたのですが、スパゲティはインド人にとって食事というよりはおやつとしか思えない様でして。しょうがない。日本食断念じゃ。と思ったのでございました。

 ここで、両方作ればいいやん。と思う方もおられるでしょう。
ところが、インドカレーの横で日本食を食べても、スパイスの香りに負けてちっともおいしくないんです

 しかもインドカレーは作るのに時間がかかる。両立は難しい。

 ここで、1週間分纏めて作ればいいやん。と思われる方もおられるでしょう。しか〜し。これは思い間違っている方が多いと思うのですが、インド人は古いカレーは食べない。のです。煮込んでおいしくなるのは欧風カレーであって、インド人は昨日の残りなんて食べないもんです。
たまに、村では奥さんが残り物を食べる日がある事もありますが、結構、残り物は大胆に捨てます。だから、私は毎日、来る日も、来る日もカレーを作ってました。

 サーガルの周辺は企業が多く、現在も、ビジネスでインドの方が沢山お越しになります。送別会で当店が選ばれる事も多いのですが、実はその前から毎日そのインド人が既にお越しになっていて、毎日うちでカレーを食べてるという事も珍しくありません。
そういうインド人の方を見ると、思わず、心の中で、分かる。私にはよーく分かるよ。と話しかけてしまいます。

第6号

甥、ラビンダー・クマール その1

 日本人がイギリスに行って、永住して、家族を呼んで住もうなんて事一体、何人の人が考えるかな?と思います。

 その点、案外インド人は世界にはそのチャンスがある。と思っている節があって、実際に、夫の従兄弟も大人になってからイギリスで店をやって、イギリスに永住しているし、

大学時代の友人はカナダで永住権を取り、イギリスからイギリス生まれのインド人をお嫁さんに貰いました。

 私の夫はどう思っていたか分からないけど、結果として、日本人の私を妻にしました。そこで、親戚一同がどう考えるかというと、

 『マンジート(私)と仲良くして、日本に行こう!』で、ございます。

 インドに全く知識のない私でしたが、インドに行って、やたらちやほやされる上に、インド人と二人っきりになると、「次には僕を日本に呼んで下さい。」と言われるもんだから
はっきいり言って、インド生活後半では、日本って本当に金持ちだと思われてるな。と思って身構えてました。

 しか〜し。日本ってどんな国か分かる?インドの様に働かなくても親戚のお陰で何とかなったりもしないし、うちはとても小さいんだよ。って言いたかったです。

 ちやほやしといて、日本の私のマンション見たら小さすぎて、ぶっ倒れるんちゃうんかなー。とも思ってました(笑)

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 案の定、結婚して暫くして、夫はお義母さんを呼ぶと言い出した。しかし、夫の意図はお義母さんを呼ぶのよりも別な所に意図があったのだ。私も妻だからそれ位、分かる。
何かというと、お義母さんは歳なので、一人では日本に来れない、介添えの者を一緒に呼ぶと言うのだ。それが、以前から、日本に、うちの息子を呼んでとかねがね頼まれていた、
一番上のお義姉さんの2男 ニック(通称名)だった。

 保守的な私、大反対だったね。でも、お義母さんを呼ぶのは当然の事だし、ニックもひっついて日本にやってくる事になった。

(長いので、半分は来週29日に更新します。)

第7号

甥、ラビンダー・クマール その2

 このニック、顔がいわゆる日本人好みのハンサムで、ひとなつっこいときた。
ところが、このニック、インド生活時代から黒い噂が、、、、

 私達の宗教、シーク教では喫煙が禁止されているのです。
だけど、このニック
どうやら、煙草を吸っているらしいという噂があり。何とかしっぽをつかまえて、おせっきょうしたい親戚一同。そこで、私がインド滞在中にマンジート(私)は煙草の匂いが分かるからニックが煙草を吸ってるか判断して貰いたいという指令を受けまして(笑)、ニックが隣のうちに遊びに来た時に調査員として、派遣されましたのです。

 ニックも私が調査員として来るという事を心得て知っていたので、私が来るなり、両手を広げて、待っておりました。日本で、もしも、家族が煙草を吸って隠したとしても、それなりに匂いがすると思いませんか?私も判断するのは簡単!と思っていたのですが、インドはカレーやらスパイス臭やら、人間の匂いで、煙草の匂いがよく分からないのです。
本当に正直なところ。。。。

 仕方ないので、顔に近づいて「クンクン」やった所、
さすが、ニック。
カルダモンを噛んでおりました。カルダモンはカレーにも使う一種のスパイスですが、(チャイにも入ってます)あれは消臭剤になりますね。煙草の匂い、全然分かりませんでした。

 調査員マンジート、むなしくサルジートのうちに戻り報告。「分かりませんでした。」と。
でも、その時に確信しましたね。ニックは煙草を吸っているな。とね。偽装工作があやしい。

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 日本に来た ニックとお母さん、外国人は日本に来ると、外国人登録というのを区役所で受けないといけません。それで、夫、義母、ニックは足立区役所に行ったのでした。万が一、何かあるといけないと思い、ニックに1000円渡し、うちの電話番号のメモを渡しておきました。

 そしたらば、区役所に行った夫より電話があり、ニックが行方不明になったとの電話。その後、ニックから電話があり、はぐれた。と言います。

 でも、さすが、女性の勘、【ニック 煙草買ったな。】と思いましたよ。1000円がくずれていたらおかしい。それで、電話するのに崩したとしようと思ったに違いない。そこが、あさはか。帰ってきたニックを部屋に入れ、その後、マンション回りを探索、マンションと隣のマンションの間の石の下に煙草ゴールデンバットを発見!!(当時安かった)

 ニックにつきつけ、これは何?1000円のおつりは?と聞いたら、ニック。それはマミ(私)が吸ってるんだ。と夫、義母の前で発言、『何〜ぃぃぃ』と逆上した私は夫と義母に取り押さえられました。

 暫くの間、2DKでインド人との苦しい生活がスタート。 

第8号

甥、ラビンダー・クマール その3

 レストランらしからぬ話で恐縮なのですが、このニック、生活態度が非常に悪い。夜中迄、インド映画を見続け(ビデオで)お昼は1時頃迄寝ている。私は、部屋の掃除は出来ないし、夜中はテレビがうるさいし、もー参りました。

 でも、それはさて置き、このニック、パンツを洗濯に出さないんです。以前のコラムに書いた『インド人はパンツをはいていないのか??』という疑問にまた戻る訳ですが、アンダーシャツやら、カッターシャツは洗濯物として出てくるんだけど、パンツが出ない。1ヶ月は軽く越えたので、再三、ニックにパンツを洗濯物として出すように言いましたが、一向にパンツが出てこないので、

 またも夫に、インド人はパンツ履いていないの?と聞いてみました。そうしたら、履いてるよ。ニックのバカと怒って、ニックにパンツを洗う様に言い渡していました。

 その後は、たま〜に、自分で洗った男物パンツがヒラヒラしていました。洗濯機で洗えるんだから、出したらいいよ。と言うのに、最後迄、洗濯物としてパンツは出てきませんでした。

 後日談ですが、インド人男子たるもの、ある程度の年齢になるとパンツは親に洗ってもらうのではなく、自分で洗うらしいです。親にパンツをいつまでも洗ってもらうのは恥ずかしい事の様です。(夫婦は別です)

 余談2 サーガルのホールスタッフは皆民族衣装サリーを着用していますが、本当は、インドでは、ブロージュというシャツを着る訳です。これはお腹がちらっと見えるので、最初はオーダーでそれぞれのサイズを作ったものの、恥ずかしいとスタッフ達が言うので、今はお腹の見えない、Tシャツで代用しています。

 ところが、インド人の恥ずかしいというのはお腹ではなく、足を見せるというのが、恥ずかしいのです。コック達は日本に来て、女性が足を見せてるので、恥ずかしくないのか、疑問をもったみたいです。

 まだ、コック達が日本に来て、まもない頃、パンツがいるというので、イトーヨーカドーに連れていった事がありますが、日本のパンツをすごく恥ずかしいと言っていました(男)。結構足が見えるし、(誰もズボンの下を覗く訳ではないのですが(^^;)
インドのパンツは綿のボクサーパンツ(当時日本にはなかった)が膝の上迄あるロングタイプだったので、最初の頃はインド休暇から日本に戻ってくる都度、日本にはいいパンツがないという事で、インドより山盛りのパンツを持って帰って来ていました。今は慣れたからどうだか分からないですけどね。



続きをお楽しみに・・・
  
 
東京での生活
インドレストラン
サーガルのらあまです。

このコラムは1990年前後の東京のもの。
日本人からは見えない別角度の東京について書いています。





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続きます
お楽しみに

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