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インドと私の出会い

第41号 番外編 ゴミの話続き

 でも、どうやら分かってきました。パンジャーブではどうも、使用済みの物は農場に埋めてるみたいです。しかも、当時は古着を切っての使用ですのでそれが土に帰る訳はなく、何かの拍子に地表に現れるのです。
田んぼで、ですよ。
それが、第1に私がトイレットペーパーの使用をやめるきっかけになった出来事でした。

 当時のインドはとてもよく出来ていました。殆ど瓶ゴミなんて出ません。コーラやリムカ等の炭酸の瓶ジュースは普段は高くて買えないし、肉買おうが、野菜買おうが、新聞紙にくるんでくれるし、パンジャーブでは燃料は牛の糞を練った物だし、殆ど燃えるゴミ。釜で焼いちゃえばいいんです。

 綺麗な瓶は飾ってる人もいたけど、時々自転車で、日本でいう所の古紙回収『カバリ〜 カバリ』と瓶を買ってくれる人がやってきたりもしました。殆ど出ないですが、それに出しちゃえばいいし。インドのお宅はシンプルでとてもよかった。
とは言っても、少々のゴミ集積所はあったみたいです。私は連れていって貰えなかった。汚いから。って事で。

 でも、丁度私が行ってた頃は少しインドが変わる時だったんだろうと思いますが、ビニールの袋が出始めていました。場合によっては野菜を買った時に手提げビニール袋に入れて貰える。そうなると、結構ビニールゴミが出るんです。これは燃やせない。

 インドの家庭にはごみ箱というのがないので、例えば、果物の皮でもそのまま足下に捨てるんです。その家庭の女性が後で掃除をするので、私はごみ箱を設置したら駄目なのかなあと思うのですが、それはお国柄の事で、皆何とも思っていない様で、私が、リンゴの芯を遠慮がちに持ってると、そこに捨てればいいよ。と
足下を指すので、いつもそっと置いてましたが、それを道端でもインド人はやるもんだから土に帰らないビニール袋が結構あちこちでフワフワ飛んでいるんですね。
私は、これは問題だ。と思いました。

 それと、ホシアイプールにいる親戚のうちで子供が生まれた時、エンジニアのお宅でしたので、そこそこお金があったんだと思うけど、出産後にあてる大きなナプキン。私は子供を産んだ事がなかったので、子供を産んだ後、数日、悪露が出る事を知らなかったんですが、
そこのお宅の奥様は紙製の立派なおむつの様なナプキンを使ってたみたいなんだけど、使用済みのそれを塀からその御本人の奥様がぽーーーい。と投げ捨てるんです。

 隣は空き地だったから出来るワザですが、え!?と思った私はそのうちの塀越しに隣を見てみると、その空き地が使用済みのオムツ状のナプキンだらけ。恥ずかしくないのかなー。子供を産んだのはあなただけなのに、誰が捨てたか分かるじゃない。と思いました。

丁度、生理用品もアメリカのメーカー(日本にもあります)の物が雑貨屋でも買える様になってきたみたいで、(まだまだ、一般の人は買えませんが)あまりゴミの出なかったインド。それが、中途半端に近代的な物が入ってきて、国民皆が追いつけないでいる。衛生面にも非常に問題があるし、これからどういう方向に行ってしまうのだろう。と当時、少々心配になりました。

第42号 番外編

 そうそう、日本に帰ってからも登場する人物の紹介。

 私の夫は三人兄弟の末っ子でした。姉が2人。
インドは男子が生まれて、なんぼという感じだし、若くして結婚した義母は沢山男の子を産んだらしいです。

 3人は産んだらしいけど、全員中学に上がるまでには死んでしまったらしいです。それで、もう、男の子は無理だと思っていた所に生まれたのが、私の夫、姉とも年が離れているだけあって、すごく大事に育てられたらしい。

 今でもその気持ちがあるんでしょうが、私なんてどんなに体調が悪くてもほったらかしなのに、うちの夫が少し熱でも出そうものなら、義母つきっきり。私はそこ迄せんでもな〜と思っていましたが、ま、しょうがない。

 一度、夫とケンカをして、怒り狂った私は夫をこづいてしまったんだけど、夫は母親にも叩かれた事がないのに!と無茶苦茶怒っていました。

 話がそれましたが、夫の一番上の姉が私が時々、滞在するルディアナと言う所に住んでいました。夫曰く、すごくケチなお姉さんで、義理のお兄さんが妻がご飯を出してくれない。と時々、村のお母さん(つまりお義姉の実家、夫の母)の所にご飯を食べに来ていた。
すごく真面目なお義兄さんだったそうです。

 でも、4人の子供をもうけて死んでしまって、私がインドに行っていた時は義姉は女手で子供4人を育ててました。

 ところが、このお義姉さん、ケチで有名なのに、私は別格だったんです。言葉が不自由な私は最初は気づかなかったんですが。

 日本=金持ち=親戚に日本人=息子が呼んで貰える=金持ちに!
という図式ですな〜。だからご飯の時にも、私だけ1品余分についていたらしい。何故かと言うと、鈍感な私は最初知らずにガバガバ食べていたからです。

 ある時、私の夕食にはヨーグルトがついていました。
本当はカレーと共に塩味で食する物なんですが、
私はデザートとして砂糖を入れて食べてました。

 所が、、ここで事件が、、義母も一緒だったんですが、義母がヨーグルトが食べたい。と義姉に言ったんです。
そしたら、義姉すかさず、『そんな物はない』と答えた。

 周り、しーーーーーん。そして、、、その時、ようやく、私が別格だと気がついたのでした。ごめん、皆、知らずに私だけがヨーグルト食べてて。。。

 時々あるんだけど、インド人はこういうミエミエな事をよくやるのだ。

第43号 村で 2

私が、あまりにもお腹をよく壊したので、村のうちにトイレを作ろうという事になった。私は数ヶ月の事だし、もはや、どうでもよかったんだけど、ステータスみたいな物だから作ってみたかったんだと思う。まず、フォグワラの町にトイレを買いに行った。
で、、、バスの屋根の上に和便座を載せて帰ってきたんだけど、

 インドの大工の腹立つ事。
インドの村の家はたいていコの字型の吹き抜けになっているのですが、その吹き抜け部分に大きな穴を掘り始めるのですが、日当を貰う大工は指示するだけで、穴掘ってるのは姪。まだ、16歳位の女の子よ?
何で、こんな肉体労働をするの??大工、あんたの仕事は?って感じです。

 何日もかけて開けた大きな穴に、4つの部屋に分かれる様にレンガで仕切りがつけられて、それぞれのレンガの壁に二マス程だけレンガが入っていない通り道が出来る。それに蓋をして浄化槽の出来上がり。。と言うのだ。。。

 私は毎日作業を見ていたんだけど、、、それって????

 私は夫に聞いてみました。これ、どういう意味?
夫曰く、まず、トイレの汚水が1の部屋に入るでしょ。(下図参照)
レンガの穴を通って2に行き、同様に3に行き、4に行ったら、
水が綺麗になってるんだよ。って胸を張っていうの。

 なんで??

 そうなるの!!と思ったんだけど、

 インド人達はそう言い張り、トイレはでき上がりました。
で、、使い初めて翌日、家の前に流された排水がとても臭い。
当たり前だと思うんだけど、村のうちでは何でだ?何でだ?と
大騒ぎになっていた。それで綺麗になったら、その方が不思議だと
思うんだけど。。インドでは衛生面がまだまだ問題ある。と思いました。

第44号 ヒジュラだったみたい〜

 インドから帰ったのは丁度今と同じ寒い時期。思い出すなあ。
そろそろ、ここら辺りで、一旦最初のインド旅行の話しはおしまいに
しようかなあと思います。また、思い出した話は追々していきます。

 村の家からニューデリーに出発する日は薄ら寒い冬の朝でした。
村の人、近所の人が集まってくれて、お別れ、、、と思ったその時、

オカマ登場。

 写真撮っておけばよかったんだけど、恐いもの知らずの私が恐かった。(オカマの発言が不適当であれば、済みません。当時の私にはそうとしか思えなかった。)3人のどうみても、おばさんとしか思えない様な化粧をしたおかま達が、狂った様に踊って、私の義母にお金。お金と要求する。

 私はこの人達は?と聞いても、夫は呼んだんだよ。と言うだけ。やたら金をむしり取るオカマ達。もう十分でしょ。と思うのに、私にもお金をくれ。と追い掛けてくる。恐いのなんの。子供が仮面ライダーショーで怪獣に追いかけれられる時の気持ちってこんなんだろうと思うんだけど、人込みを掻分け逃げ惑う私。生理的に非常に恐い。。。
むしり取るだけむしり取って帰っていったけどね。

 そんなこんなで、お別れは慌ただしくなってしまいました。
別れを惜しむ間もなく。ラッパの音。

 (来る時にはなかったミニバス→ラッパの音で現れる)に乗り遅れたら駄目だと走る私たち。
けちん坊の夫が珍しく、インド最後の電車だから一等車にしようと取ってくれた、寝台車はダブルブッキングで私達のベッドはなし。(高いお金払ったのに(;_;))さすが、インド最後迄こんなんかい。と思いながら、ニューデリー迄、空いたシートで夫と離れ離れになってデリーを目指すのでした。

追伸:その後、日本に帰って大分経ってから、日本でヒジュラの本を発見。そうか、私を日本に見送ってくれたのはオカマではなく、ヒジュラだったんだ。と今頃、気がつきました。本によると、ヒジュラは後から作られた、両性具有だと書いてありますが、インド人達は生まれたときから両性具有だと信じており、生まれたら、何処からともなく、ヒジュラが現れ、両性具有の子供をさらって行くと、うちのコック達も申しています。機会があれば、本が何冊か出ていますので、読んでみて下さい。なかなか面白いですよ。

ヒジュラに会う 知られざるインド・半陰陽の社会 / 大谷幸三/著
ヒジュラ インド第三の性 / 石川武志/著
他にもある様です。

第45号 さようならインド〜

 デリーに到着し、飛行機が出る迄のあいだの一日、滞在したのはベサントバーグ(だったかな?)の公務員の親戚宅。私はすっかり黒くなりインド人と見分けがつかないね。と言われた位。

 いよいよ、お別れで空港へ。インドで、新居用に陶器の器セットを買っていました。テレビが入るくらいに大きな箱にセットになっていたのだけど、空港カウンターで、夫が余分なお金を払わないと言ったその言葉の使い方が相手を刺激した様でその様な荷物は受け付けられないという事になってしまい。お皿は持って帰れず、見送りの人に渡す事に(;_;)

 トイレに行けば、頼んでもいないのに、掃除の女の人がニコニコと私に手ふきの使い捨てペーパーを渡す。で、いつまでもニコニコと私の前から立ち去らない。。チップか。。。髪はボーボー。心身ともに、ヨレヨレ、成田空港に着いた時、何のチェックもなしに、空港からすぐ出られた瞬間。日本に帰ってきたのだと涙が出ました。二度とインドなんかに行くもんかーーーーー!!と思いました。その時はまた訪問する事になるとは気づかずに。。。

 インド滞在三ヶ月目の写真をアップします。


インド到着数日後


インドから帰る直前、日焼けしています。

  
 
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サーガルのらあまです。

このコラムは、1989年のインド旅行のもの。主にパンジャーブでの出来事について書いています。




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